「できない私」を愛する

 

月曜日

 

「絶対できるよ」「できるから大丈夫」
優しい人たちの励ましの言葉たちが、
私の焦燥感を沸き起こす。

「そうだよね、ありがとう」

もっと不安になる。できるようにならなきゃ。
「できない私」では、
きっとがっかりさせてしまうから。
がっかりさせる… いったい、誰を?


「自分にできないことがあったっていいじゃん」
無責任なようで
聖母のような包容力を持つ言葉。
そこにあった不安が
いとも簡単に解きほぐされてゆく。


「できない私」でも変わらず好いてくれ、
愛してくれる人がいるという実感。
これからは私が
「できない私」を愛する番だ。


火曜日


へとへとになって帰宅した。
それでもやると決めていたから、
溜まっていた洗濯物を回して、
ご飯を用意して、化粧を落として、
シャワーを浴びて、スキンケアをして、
明日の準備をする。

 

この世の中ではきっと、
これが正しいのだろう。
余裕を持たず懸命に暮らす。
「えらいね」「頑張ってるね」
こんな言葉が聞こえてきそう。
そして次第に社会の犠牲者としての
自覚を持たずして心を病み、
労働や子育てという言葉でもって
「貢献せよ」と強いる社会に、
知らず知らずのうちに呑み込まれ、
疲弊した心と共に肉体までをも
自らであやめてしまう人が、
この社会にはいる。

そんなことを思いながら、一連の作業を、
静まり返った家の中一人でする。
この虚しさ。侘しさ。
これがまったく平気な時もある。
一人の時間を愛してやまない時。
でも、この日はだめだった。

 

嫌な感情に身体中を支配されていた。
PMSのせいだ、きっとそう。
私はたいがいの場合、
一人の方が気楽で心地よい。
ただほんの時々、家に帰ると
「おかえり」と私を迎える人がいて、
今日の出来事を話したり、
ご飯を作ってもらっていたり、
こちらが作ったりするような、
そんな存在がある人を本当に羨ましく思う。
暮らしを共にする人。

できれば、というより必ず、
その人は私にとって
重要な人物でなければならないのだろう。

 

進学を機にこちらに越すまでは、
私も実家に家族4人で暮らしていた。
祖父はどちらともいなかったけれど、
どちらの祖母もいつでも会える距離にいた。
両親の仲があまりよくなかったこともあって、
早く家を出たいと思っていた。
二人とも、私たち姉妹を愛しているが故に一緒に暮らし、
私は両親を愛しているが故に、
その環境が、些細な言動から
垣間見られるひとつの夫婦の終わりが、
とても重くて、苦しくて、辛かった。

 

あの時、私は一人暮らしに憧れて
こちらに越すのを急いだ。
纏っていた鎖がほどき落とされるようだった。
その心地よさ、気楽さを確かに感じた。
しかし、それと同時に家族の繋がりも薄く、
もろくなっていったことに、
当時は気が付かなかった。

今になってふと実感する。
もう、この家族が揃って
同じ家にいるということはないんだ。

 

お風呂でじっくり泣いたら、
少し気が楽になった気がした。
そういえば、泣いている人に
「泣かないで」と声をかける
優しさがあるけれど、私には分からない。
自分が泣いている時にそう言われてしまうと、
もうその人の前でうかつに感情を露わにすることは無くなるだろう。

 

泣くということは、
体の中だけでは収まりきらなかった感情が
出口を探して外へ出てくること
ではないだろうか。
溢れ出る感情に、「出てこないで」と
言ってしまうのは悲しすぎる。
それでも、世の中には
そのような優しさがある。

私が自分の感性で感じることが、
世界の全てを定義づける
なんてことは決してないように、
優しさにも人によって
様々な形があるのだろう。
これは以前話した愛についても
同じことが言える。

 

家族という一つの愛の形。
自分にとって重要な誰かとの愛の形。

「泣かないで」という優しさ。
「泣いていいんだよ」という優しさ。

 

私は考える。
時には仏のような優しい顔をつくって
私たちに向ける社会に、
この人が、あの人が、
時には自分が呑み込まれないように、
私にできることは何だろう。
かけてあげられる言葉は何だろう。

どうか未来の私が、
誰の感情も押さえつけてしまいませんように。
どんな形の優しさも、
見逃してしまいませんように。